数十年ぶりに行った場所。


 おはようございます


 今週?すでに水曜日ですが



 ゴールデンウィークは


 いかがお過ごしでしたか?



 私は久しぶり動き回った


 連休になりました。



 まず、どこへ


 成田空港第2、第3ターミナル


 です。



 今回は、第一ターミナルへは


 行ってません。



 一番の見どころは


 やはり第一になるのかとおもいます。



 私が小学校へ入って間もなく


 行った場所で、一番記憶にある場所。



 成田空港第一ターミナル。


 当時は、40年以上前ですので



 このような感じです。



 40年前、つまり1985年頃の成田空港(当時の正式名称は「新東京国際空港」)の様子を簡潔にまとめます。

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### 成田空港(1985年頃)の概要:

* **第一ターミナル**のみが存在

* 1978年に開港。1985年当時は**この1つのターミナルだけ**で運用されていました。
* 現在のような「北ウイング・南ウイング」の構成ではなく、単一の構造で、多くの航空会社が混在して使用。
* セキュリティや検問も厳しく、空港周辺は警察や機動隊が多く配置されていた。

* **第二ターミナル**

* まだ存在せず、**1992年に開業**するまでは構想段階。

* **第三ターミナル**

* LCC向けの施設として**2015年に開業**。1985年当時は当然ながら存在していない。

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### その他の特徴:

* 当時は反対運動が続いており、空港アクセスにも検問があり、緊張感があった。
* 交通手段は主に**バスと車**。鉄道アクセス(JR・京成)は**1991年に開業**したため、1985年時点では未整備。
* 成田エクスプレスもスカイライナーも未開通。

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 機動隊が常時待機していたわけです


 過激派、テロ集団が


 いたわけです。


 その理由はこのような


 
 1985年頃の成田空港では、**機動隊と過激派の緊張が極めて高い時期**でした。以下に当時の状況を簡潔にまとめます。

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### ■ 機動隊の配備と対応

* **空港全体が“要塞”のような警備体制**

* 検問所が空港周辺に複数あり、一般の乗客でも身分確認が必要。
* 空港構内にも装甲車や防護柵が配備され、常時**機動隊が配置**。
* 特に開港当初(1978年)から1980年代半ばまでは、**暴徒化対策**としてヘルメット・盾装備の部隊が常駐。

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### ■ 過激派の活動

* 主に\*\*成田空港反対派(農民や支援する過激派グループ)\*\*による運動が続行中。
* 中核派、革マル派、社青同解放派など、**新左翼系の過激派**が空港建設に反対し、各地でゲリラ的な活動を展開。
* 一部は火炎瓶や鉄パイプ、投石などによる**空港施設や機動隊への攻撃**を実行。
* 1985年頃は、**空港完成後も滑走路の拡張や第2ターミナル建設に伴う抗議活動**が続いていた。

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### ■ 社会的影響

* 成田空港は単なる空港というより、**政治的・社会的な対立の象徴**でもあった。
* 一般人にとっても「成田に行く=検問と警備が大変」「物々しい雰囲気」という印象が強く、敬遠されることも。

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どうしてこのような


反対運動が・・・



成田空港(新東京国際空港)の建設に対する反対運動は、単なる「空港建設反対」ではなく、**農民の土地問題、強制収用への怒り、政治的不信感、国家と個人の対立構造**が複雑に絡んでいました。以下に主要な理由を簡潔にまとめます。

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### ■ 反対理由の主なポイント

#### 1. **土地の強制収用と一方的な決定**

* 空港建設は1966年、**地元住民の合意なしに突然決定**。
* 千葉県成田市の三里塚地区では、代々農業を営む農民たちが多数住んでおり、**生活の場を奪われることへの強い反発**が起きた。
* 十分な説明もなく、**国(政府)が一方的に土地を取り上げようとした**ことが大きな怒りを買った。

#### 2. **国家権力への不信と抵抗**

* 当時の日本は高度経済成長期で、国策が優先され、住民の声が軽視される傾向が強かった。
* 空港建設を「国策」として押し通す政府に対し、**「小さな声を踏みにじる巨大権力」への抵抗**として運動が広がった。

#### 3. **左翼運動との連携(新左翼)**

* 成田闘争は次第に、**過激派左翼(中核派、革マル派など)と結びつき、反政府運動に発展**。
* 彼らにとって成田は「反資本主義・反権力闘争の最前線」でもあり、空港を象徴的な“戦場”と見なした。

#### 4. **暴力的な対立の激化**

* 農民たちは農地を守るため、バリケードや塔を築き、命をかけて抵抗。
* 国側は機動隊を大量動員して排除を強行。**双方の衝突が暴力的にエスカレート**。
* 1971年には反対派の学生と機動隊の衝突で**死者が発生**(東峰十字路事件)。

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### ■ 結果的にどうなったか

* 空港は1978年に開港したが、当初は滑走路1本のみ、**完成度は不十分**。
* 現地農民や支援者はその後も活動を継続。
* 一部の農地は**今も買収されず**、空港の敷地内にポツンと存在している(“空港内の農家”)。

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この運動は日本の近代史において、\*\*「開発と人権」「国と個人の関係」\*\*を問う象徴的事件として、現在も語り継がれています。




バブル期の地上げ屋が可愛く


感じます。


札束を見せて


これで売って欲しい。



この値段じゃー


え!


俺らが金持って、頭下げて


来てるんだぜ。


それで、この金額が気に入らない


だったら


そんな時はこちらを


『マルサの女』は、1987年に公開された伊丹十三監督による日本映画です。正式タイトルは\*\*『マルサの女』\*\*で、「マルサ」とは国税局査察部、つまり脱税を摘発する専門機関の俗称です。

### 映画の概要:

* **監督・脚本**:伊丹十三
* **主演**:宮本信子(主人公・板倉亮子 役)
* **ジャンル**:社会派サスペンス・コメディ

### あらすじ(簡単に):

東京国税局の女性査察官・板倉亮子が、巧妙に脱税を行う企業家や裏社会と対峙しながら、真相を暴いていく。脱税の実態に迫る緊迫したシーンと同時に、ユーモアや風刺も交えた作品。

### 特徴:

* 伊丹十三独特のユーモアと社会批判が際立つ。
* それまであまり注目されなかった「脱税」や「税務調査」というテーマにスポットを当て、話題に。
* 主人公が女性であることも当時としては新鮮だった。

### 続編:

『マルサの女2』(1988年)も制作され、同じく宮本信子が主演。

この映画によって「マルサ」という言葉が一気に一般化し、日本社会における税の取り締まりに対する関心が高まりました。

ご興味あるのは、映画のあらすじ、キャスト、名シーン、あるいは社会的な影響など、どの部分でしょうか?



電話番号がマルサ怖いよ


〇3 5〇14 こんな感じなのか?



日本において


警察でなく


地検、国税査察


公安委員会


このあたりが、本当の国家権力者?



マルサの女<Blu-ray> - 宮本信子, 山崎努, 津川雅彦, 大地康雄, 桜金造, 伊東四朗, 伊丹十三
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好きな映画


好きな監督の作品です。






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